『OneShot』【感想・レビュー】~ゲームノ読ミ物(15)~
『OneShot』は、「次元を超えたパズルアクション」である。
インディーズゲームの中でも高い評価を受けている人気タイトル。ドット絵で描かれる世界は美しく、シンプルな色使いと造形にセンスを感じさせる。
『OneShot』がどれほど魅力的であるか、その理由について独自の視点で語っていきたい。
※ネタバレを含むので、真・エンディング(2周目)まで到達していない方はご遠慮ください。
ニコとの交流
主人公のニコは猫のような顔をしたキャラクター。プレイヤーを”神様”と認識しており、不安になったり困りごとに直面するとプレイヤーに語りかけてくる。悩みを共有することで、ニコとの連帯感が生まれていく。
皆から救世主として扱われ、いわゆる"勇者"として行動していくニコ。プレイヤーは操作こそしているが、ニコは自我を持っている。この関係性が心地良く、ニコに対して感情移入を高める要因になっている。
ゲームの中断にも細やかな演出が施されている。新しいエリアへ進む直前になると、ニコは必ず眠くなる。どこかにあるベッドで休ませると、ゲームは強制的に切断される。
ゲームの起動とニコの意識は連動している。それはニコが本当に生きているかのような錯覚を起こす。ニコが実在する人間なのだと理解したとき、最後の決断は極めて重いものになる。その選択をプレイヤーに委ねさせるところに、制作者の意地の悪さを思い知る(誉め言葉)。
真・エンディングを迎えたあと、ニコは現実世界へ帰っていく。3周目以降のニコは記録データに置き換わるため、あくまでハッピーエンドの地続きであることを痛感する。
ニコが去ったあとの『OneShot』。それは、記録を追体験するだけのシミュレーションにすぎない。クリアすることで得られるのは、達成感よりも寂寥感だった。
ハッピーエンドの後に食べるパンケーキの味は、ほろ苦い。
個性豊かなキャラクター
最初の頃は各種ロボットの古めかしいデザインが目につく。もっと荒廃した世界かと思っていたが、人間タイプもそこそこ多い。ただし、ボディは普通でもヘッドが特徴的なキャラがほとんど。顔がサイコロや時計、植木鉢の人物とも当たり前のように会話をする。このシュールな容姿もまた魅力のひとつ。
お気に入りはカラムスとアルーラの兄妹。ハーピーなのか鳥人なのか定かではないが、目玉が大きくて人懐っこいのが特徴。実際に話したり共に行動するのはわずかな時間だが、持ち前の明るさで心を和ませてくれる数少ない存在。少なくとも私にとって彼らが小さな太陽だったのは間違いない。
ゲームの枠を"超える"
『OneShot』の最大の特徴は、なんといっても"ゲームの枠を超えた演出"につきる。
ゲームの世界を司るワールドマシンは、ニコに壊れゆく世界からの離脱を望んでいた。ブロックノイズは、目覚めた自我がパニックを引き起こしたことによる崩壊現象であり、どうすることもできなかった。
一方、創造主はゲームの枠を超えてPCに直接アクセスをしてくる。唐突にファイルが送られてきたり、壁紙を強制変更されたりするのは、実にエキサイティングな経験だった。
ワールドマシンと創造主のせめぎ合いも面白い。生み出したクリエイターと生み出されたゲームの間で板挟みにあるプレイヤー。それをドット絵で表現したことにより、お互いの思考や思いに集中することができた。
想像力をかき立てるドット絵だからこそ、この内容が見事にハマったのだ。
まとめ
『OneShot』は、PCゲーム(Steam)の新しい可能性を示してくれた。ゲーム機ではどういう演出になるのか分からないが、少なくともPCでプレイしたときほどの衝撃は受けないだろう。
ニコがゲームから現実へ帰るラストシーン。どんなにハイクオリティの映像よりも感動できるのではないか。ここまでくれば、もう画像を表示する必要はない。仕事を終えた神様には、小麦畑に囲まれた我が家でパンケーキを食べるニコの姿がその目に浮かんでいるはずだから。
「終わり良ければ総て良し」という言葉がある。名作には最高のエンディングが不可欠だということを、あらためて思い知る作品だった。
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