『ドラゴンクエスト(ドラクエ1)』【感想・レビュー】~ゲームノ読ミ物(12)~

 『ドラゴンクエスト』は、「日本におけるRPGの始祖」である。
 どれだけすごい作品なのかは多くの方が周知の事実だが、あらためて独自の視点で解説していきたい。

シナリオ、グラフィックデザイン、音楽、すべてが一級品

 とにかく制作スタッフがすごすぎる。ゲームデザインとシナリオの堀井雄二、グラフィックデザイナーの鳥山明、ミュージックコンポーザーのすぎやまこういち。さらにディレクターの中村光一という隙のない布陣である。これで面白くならないわけがない。
 いろいろ補足を書こうと思ったが、蛇足になるのであえて触れない。それぐらい名前だけでひれ伏してしまうお歴々である。

レベルを上げることの重要性

 いわゆる"レベル上げ"は、今でこそ面倒な作業とされている。しかし、ドラクエ発売当時はRPGなど誰も知らない超マイナーな存在だった。半年前に発売された頭脳戦艦ガルのせいで余計なイメージがついた。
 はじめての体験というのは、何事においても新鮮で楽しいものだ。時間をかけてレベルを上げれば、どんどん強くなっていく。能力を数値化したことで、成長も可視化されたのは斬新な仕様だった。
 そのおかげか、じわじわと人づてにシェアを伸ばしていくことになる。それは偏にプレイして楽しかったというシンプルなところに尽きる。

遊び心を優先するエンターテイメント性

 『ドラゴンクエスト』は、本格的なヒロイックファンタジーだが、実は非常にネタが豊富な作品でもある。
 『ドラゴンクエスト』の生みの親である堀井雄二は、週刊少年ジャンプで不定期連載していた「ファミコン神拳」を宣伝媒体に活用した。そのためか、「ファミコン神拳」のライター陣が本作のキャラクターとして登場している。他にも制作スタッフが複数キャラクター化されており、当時の独特なユルさと時代背景を垣間見ることができる。

 そして、"せんしのゆびわ"や"しのくびかざり"といったアクセサリーの存在も忘れてはならない。
 この時代のゲームは常に容量との戦いがあった。そのため、必要なもの以外を入れる余裕は全くない。その証拠に、本作の文字データは平仮名とカタカナの五十音すべてを登録できていないのだ。
 そんな状況でも、あえて不必要なアイテムを入れた理由は何か。これは個人的な見解だが、よくわからない謎のアイテムの存在が作品の奥行きを広げたと思っている。一切の無駄がない作品は、完璧すぎてつまらないのだ。
 『ドラゴンクエスト』はゲームであり、エンターテイメントである。有益な文字を削ってでも不要なアクセサリーを入れる。その”無駄のひとつまみ”が、多くの人に愛される理由なのかもしれない。

気になった点

 気になった点は、やはりレベル上げにかかる時間。プレイ時間の8割以上はレベル上げに費やされるため、現代でのプレイには向かないゲームバランスになっている。昭和は遠くなりにけり。

まとめ

 TVゲームという新しい舞台に、各ジャンルの超一流クリエイターが一堂に会した。その奇跡の作品である『ドラゴンクエスト』が世に出たことで、RPGの地位は確立された。この作品がなければ、『ファイナルファンタジー』や『MOTHER』、『Undertale』なども生まれなかっただろう。

 日本のゲーム界のターニングポイントになった歴史的タイトル。今ではリメイクも多く存在するが、オリジナル版を移植したタイトルはあまり多くない。もし、オリジナル版に触れたいのなら、プレイできる環境がある今の内にやるべきだ。

 どんなに古くなろうとも、原作をプレイすることでしか本当のスタートラインには立てないのだから。

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