劇場版アニメ『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』【紹介・レビュー・感想・評価】
概要
2022年6月3日から劇場公開されたアニメ映画。TVシリーズ『機動戦士ガンダム』の第15話「ククルス・ドアンの島」を翻案した作品。
あらすじ
一年戦争の真っ只中。ホワイトベースはベルファストへ向かう途中、アレグランサ島の残敵掃討を命じられた。調査をしていたアムロに突如ザクが襲い掛かる。戦いの最中で崖の崩落に巻き込まれてしまい、意識を失ってしまう。
ククルス・ドアンに助けられたアムロは、ガンダムを捜索しながら灯台に住む子供たちと生活を共にする。その頃、ホワイトベースでは調査任務を切り上げて直ちにベルファストへ向かうよう通達される。
一方、ジオン軍は通信が途絶しているアレグランサ島へサザンクロス隊を派遣する。それは奇しくもククルス・ドアンが隊長を務めていた小隊だった。
アムロの捜索隊がアレグランサ島へ再上陸すると、まもなくサザンクロス隊との戦闘が始まった。ドアンは子供たちを守るために元同僚たちを倒していくが、現隊長のエグバ・アトラーに追い詰められてしまう。その窮地を救ったのは、”連邦の白い悪魔”ことアムロの駆るガンダムだった。
どういう人向けか
・安彦良和が好き
・初代ガンダムが好き
・ザクが好き
・スレッガーがあまり好きではない
レビュー
「安彦良和的”ガンダムの余白”」
原作の『機動戦士ガンダム』を手掛けた富野由悠季監督が描いていたのは、戦争の悲惨さや苦しみだった。
ドアンが引き取った孤児の数を大幅に増やしたのは、孤島での生活という閉塞感を減らすためと、尺を引き延ばすため。それは、アムロがドアンや子供たちに対して情が移らないような配慮だと感じた。
そこには陳腐な人情ドラマにはしたくないという意図を感じられる。
ドアンは何を思い、何を為そうとしていたのか。ジオンの正規兵として戦地の孤児を引き取り、孤島で生活を始めた。過去に殺めた人々への償いなのか。それともただの自己満足なのか。
ドアンが子供たちとの交流において強く情に絆されるシーンはない。あくまで生きていくための手助けに徹している。その姿は父親というより教師に近く、やさしさよりも威厳をより強く感じる。
アムロを助けた理由も少年だったからに過ぎない。子供に対する贖罪が行動の根源にあるため、所属による区別はしなかった。ジオン軍への忠義よりも、自分の考える正義を貫く。それがドアンの現状の生き様であり、目的である。
アムロはドアンに助けられたあと、ひたすらガンダムの捜索に勤しむ。ドアンや子供たちへの関心は薄く、打ち解けたあとも必要以上に干渉をしない。
本作の主人公はアムロなのだが、ストーリー上の立ち位置は部外者。内気な性格なので打ち解けるまでに結構な時間を費やしており、間延びしている印象は拭えない。
アムロは島での生活で何かを得たり、成長を遂げるわけではない。あくまでジオン軍の元パイロットや子供たちと寝食を共にしただけ。結果的にドアンを救うことになるが、アムロ自身の目的とはかい離している。元々足止めを食っただけの水増し回なので、主人公の思想や行動を大きく影響を与えるものなど存在しない。
劇的な変化がないままアムロはホワイトベースへ帰る。肉付けがドアンにばかり偏ったせいで、独立した劇場作品と考えれば物足りなさが残った。
原作は戦争の苦難や凄惨さをテーマにしているため、全編を通して重苦しい空気が漂う。しかし、本作では時代劇を彷彿とさせる演出が垣間見える。
ドアンの窮地を救うガンダムの登場シーンや、サザンクロス隊の隊長エグバを倒した際の残心は原作のイメージとは大きく異なる。終盤では、けれん味が強く、勧善懲悪の活劇を観ている気分になった。
敵味方双方の正義を見せる原作のスタンスを鑑みれば、この演出に若干の違和感を覚えてしまう。
他に印象的なのは、ドアンが元同僚を倒したり、アムロがガンダムでジオンのパイロットを踏みつぶすシーンなどのはっきりした"死"を描いていること。
しかし、そのようなシーンに対して目を覆いたくなるような感覚はあまりない。全体を通してキャラクターの感情を深堀りしていないため、原作のような"感情の生々しい肌触り"が希薄になるからだ。その結果、人間同士が生死を賭けて戦うことのインパクトが欠如した。
安彦良和監督の描きたかったもの。それは、愛憎入り乱れたヒューマンドラマではなく、正義のロボットが敵を討つヒロイックアクションに他ならない。
感想
CGの向上によりモビルスーツの描写が美しくなった。SEもアニメ的な表現から金属的なものに代わりリアリティが増している。
しかし、そのリアリティは不要に感じた。ガンダムはあくまで空想の産物であり、無理に現実へ近づける必要はない。あのモビルスーツ特有の駆動音が非現実的だとしても、その音に慣れた”ガンダムに魂を引かれた者”にとっては大きなお世話である。
元々が水増し回なので、見せ場を増やすために無理やり付けたシーンが目についてしまう。シャアのくだりやアムロが二度ぶたれるシーンは明らかに蛇足。とくにあのワンシーンのためにシャア役の池田秀一氏を駆り出したのは実に勿体ない。余計なシーンを入れるぐらいなら、もう少し時間を短縮してコンパクトにまとめるべきだった。
ドアンが世話をする子供の数が異常に増えているのも気になった。あれだけ大所帯では食料や水ももっと大量に必要なはず。先にリアリティは不要といったが、それでも最低限のクオリティは欲しい。そんなことで頭を巡らせていたら、脳内で「マンガだからね!」とメガネをかけた金髪の艦長に言われた気がした。なので、これはこれでアリかもしれないと考え直した次第です。
評価
☆☆★★★
楽しめなかった一番の要因は、とにかくアムロやドアンの心理描写がなさすぎたこと。
ドラマのない群像劇は物語を追うだけになるので、評価はやや辛めになりました。
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