『ルックバック(映画)』【レビュー・感想】~アニメノ読ミ物(2)~

2024年7月25日

 『ルックバック』は、「純全たる青春物語」である。
 映画を観てきたので、その内容について独自の視点で語っていきたい。
 ※ネタバレ有り。

藤野と京本

 まず最初に主人公の藤野と京本について触れてみる。
 二人の演技はとても自然で、いわゆる"アニメ"らしさがない。それもそのはずで、二人の声はプロの声優ではなく若手の俳優が担当している。

 藤野も京本も本質的にはアニメのキャラクターではない。どこでもいる少女であり、女性である。特別な能力はなく、ただ"好き"を拗らせただけ。普通ではなかったのは、“描き続けた"こと。誰にでもできるはずだが、誰にもできない。それほどまで漫画に入れ込んだ二人がたまたま出会った。それだけの話。

 作中では淡々と描かれているが、二人は長い月日を漫画に費やしている。学生時代のほとんどを費やした時点で、天才と呼べるほどの所業をこなしている。それは、観客にとって腑に落ちるものであり、漫画が売れた理由も極めて合理的だ。

 そんなリアルな人物像だからこそ、事件後の現実に苛まれる藤野の葛藤が胸を打つ。

 主人公の二人は紋切り型の漫画のキャラクターではない。生々しい人間としての命を吹き込む必要があった。だからこそ、年代の近い俳優の吹き込む言葉が作品にスッと溶け込んだのだ。

見惚れる背景

 映画『ルックバック』で一番良かった点は何か。そう尋ねられたとき、私は"背景の美しさ"を挙げるだろう。
 学校の教室、田んぼ道、ありふれた民家、プロとしての仕事部屋。どの背景も、それだけで間が持つ。場面が変わらずにもう少し眺めていたい。そう思わせるほどの背景に出会ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 ストーリー上、激しいアクションはほとんどない。心理描写が多いこともあり、背景はとても重要になる。京本が笑っているとき、何を見ているのか。藤野が悩んでいるとき、その瞳に何が映っているのか。意味のないはずの背景であっても、特別な瞬間には背景さえも特別になる。

 記憶とは、感情と場面とが結びついているものだ。背景が素晴らしいものであればあるほど、自然と感情移入の度合も深くなっていく。

 迫力を持たせるための背景としては満点であり、これ以上ないほど"ルックバックの世界"との距離を縮めてくれた。

ifのリンク

 放心状態の藤野が京本の部屋の前で自分自身を責めたとき、4コマ漫画が目に留まる。それは、当時の藤野先生をリスペクトした内容だった。

 もしも、あのとき出会っていなかったら。叶うはずのない願いが形となり、ifのストーリーが展開される。あの最悪な事件を、最高の形に逆転させる。誰もが一度は思い描く夢物語。あのとき出会わなかった世界線の京本が描いた4コマ漫画は、もうひとつの現実へリンクする。

 そんなバカなと思うものは誰もいない。あり得ないことが起こるのが漫画であり、夢を現実にするのが漫画である。

 自分のファンが描いた4コマ漫画は、作者にとって無限の力を与えてくれる魔法のアイテム。それが、かけがえのない人であれば、その効果は計り知れない。

狭い視界

 登場人物をほぼ主人公の二人に絞ったことも物語に没頭できる要因のひとつ。

 とくに京本の家族に関しては一切の情報がない。藤野にとってノイズにしかならない存在をバッサリ切り捨てる大胆さは、原作者の特徴であり魅力なのかもしれない。

 また、藤野視点のみにしたことで物語の軸がブレなかった。藤野先生と大ファンの京本という関係性に帰結させたことで、終盤の落ち込みからラストへ流れるように着地させたのもお見事。

まとめ

 「ルックバック」それは、観客である私たちに突き付けられた言葉。過去を振り返ることが愚かだと思ったことはない。ただし、藤野と京本よりも明らかに後悔は多い。

 劇場を後にするとき、もう一度ポスターに立った。

「お前は描かないのか」と言われている気がした。

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